「九十九一希」の意義を想う

あくまで私個人から見た九十九一希のお話、というのを念頭に置いて読んでいただけると幸いです。

 

 

イベント中や終了後に、幼き日の赤星くんという単語をときどき見かけた。10年前にサムが生まれたなら、赤星くん9歳だもんな。サムも9歳なのかしら、それとも19歳……とぼんやりと考えていると、ふと思い出す。
小さい頃の九十九先生、見たことがなかったっけ?
慌てて「風鈴の音」を開く。そこには椅子に腰掛けている九十九父よりも背の小さい、子供の頃の九十九先生がいた。
当時から、漠然と小学生かなと思っていた幼い彼の身長を、恐る恐る検証してみる。
九十九父の身長が今の九十九先生と同じくらいだとして、椅子に腰掛けた九十九父は145cmほどだろうか。この九十九先生、いや、九十九くんの身長はそれよりも小さいことになる。
そして、9歳の平均身長は135cmほどらしい。
作文を褒められているのも、スランプに陥っている九十九父を見ているのも同年の夏だと仮定すると。スランプに陥った九十九父を見て、「父さんに喜んでほしくて執筆を手伝ったのが始まりだった」のだとしたら。作文を褒められた延長線で、執筆を手伝ったのだとしたら。
彼がゴーストになったのは、10年前の、9歳の夏。自室で作業をしている父と過ごす時間が多くなる、夏休みではないのだろうか。
これに気づいてしまった瞬間、思わず脳内の九十九父を見やる(概念)くらいにはうろたえていました。
いや、だって、そうなると、九十九先生は人生のうち半分を、ゴーストとして生きていたことになります。小さな頃からゴーストとして生きているということになります。そんなのあまりにも惨いではないですか。
だから、さすがにそんなに幼い頃からゴーストではいなかっただろう、と考え始めるのですが。それどころか、九十九父名義の小説は想楽くんが好きだと言っていた、九十九父の初期の作品は「若い頃の父さん自身の作品」なので、その後は伸び伸び書いていない(スランプ)か、九十九先生が書いた小説のどちらかの可能性が高い。少なくとも、九十九父は若い頃に小説家になっているのは確定で、若い頃の作品は「初期」。十年一昔というくらいだし、あまりにも若すぎるゴースト、という線が覆せそうにもない。

そして、そんなゴーストの書いた小説はベストセラーになった。これが九十九父本人の書いた小説と同等の売り上げかもしくは不評であったなら、九十九父がスランプさえ脱却すれば引き返せた。でも引き返せなかったのは、ゴーストが売れてしまったからだろう。
父親と向き合うこと、筆を折ることは同時に、期待を裏切ることになると述べているから。九十九父は九十九先生がゴーストであるのを「期待している」のです。
ゴーストになってからアイドルになる直前まで、九十九先生は「父さんに喜んでもらいたい」に苦しめられる。
考えれば考えるほど、嫌な予感がしてしまって、胸が苦しくなります……

先生が315プロのアイドルの中で唯一「おれ」って言っているのも、文学少年だからかと思っていたけれど、「おれ」は9歳で止まってしまった説もありえるのかもしれない。
今後、ゴーストを始めた時期が明かされるかどうかは不明ですが、明かされるとして、せめてもう少し後にゴーストを始めたと判明してほしいです。その過去は決して無駄ではなかったし、F-LAGSの三人とプロデューサーが出会うためなら必要だったけれど、九十九先生の過去を想うなら、そうであってほしくなかったと祈らずにはいられないので。

 

ただ、だからこそ、Wfsでゴーストが「光」を見い出して、出会ったのは運命だったのかもしれないと告げたのは、大きな意味があるのかもしれないとも考え始めます。
オリピ07で、彼は「涼という光に憧れて、おれはこの世界に来た」と語っています。
先生の語りと、サムの語り。偶然にしてはあまりにもできすぎているんですよ。
ゴーストが光に出会って、自分が何者かを知り(もしくは知るために)、出会えてよかったと確信する。多少の詳細は違えど、まさしく、二人のゴーストが光を見いだしているんです。サムの、万字郎の終着点は、九十九一希の出発点でもあるんです。

ここで、【Fiction Writer】の信頼度MAXセリフについてを。

Wfsを走っている最中、信頼度MAXセリフがやばい。という話を目にします。
あまりにあちこちでやばいと目にしたので、そんなにやばいと言われているなら読んでみよう~と、のんきに先生を受け取って、ひたすら走り続けるわけですが。
信頼度MAXセリフが出てきた瞬間、呻きました。
やばいっていうか、なんだ。なんだあの信頼度MAXセリフは。
おれを好きになれたよって、なんだ。

当時の気持ちを言葉にするのは難しいのですけど、とにかく嬉しいような、報われたような、いやもっと、信じていてよかった、と思うような。
この瞬間、私絶対1位取りたい、と強く願いました。実は。

今までのセリフを思い出しながら、いろんなことを考えました。
過去のセリフから見ても、自分のことが好きではない、と見受けられるような発言もありました。
「別に、おれの衣装なら適当でいい」(目指す姿)
「自分の能力を呪ったこともある」(傍白のFamille)

もちろん、そこから変わりたい、変わっていっている、と言っていたセリフもいくつか。
「少しずつでも、変わりたい。おれは前に進みたいんだ」(ミュージックプログラム)
「自分が何者かわかってきた気がする」(雨のち笑顔)
「将来後悔しないために、今を全力で生きる」(DSPL)

なぜ変わりたいって、なるほど、自分のことが嫌いだったからなのかなと。
誰かの期待を裏切るのが怖くて、現実と向き合えない、臆病者。一歩踏み出そうと思えば、父親と改めて顔を合わせて、ゴーストをやめたいと言い出すこともできた。でもそれが怖かった。誰も幸せにならない秘密だとわかっていても変われない、そんな自分が嫌いだった。
そして、葛藤に苦しむ中、テレビの中の涼はこう告げます。
「これ以上自分のことを秘密にしても、誰のためにもならないと思ったんです…!」
「夢を捨てる前に、もう一度だけ、考えてほしいんです」
「その夢は……本当に望みのない夢なのか」
「望みはあるのに、自分がそこから目をそむけてるだけじゃないのか」
「できることがひとつでもある以上、夢はかなう可能性があります」
本当の自分を出した涼は強いと思うし、眩しい。でもそれ以上に、九十九先生はこの言葉が強く刺さったんじゃないかなと、今は思います。
誰も幸せにならない秘密は、自分が変わることで何かが変わると頭のどこかで理解していたから。父親と向き合うべきだとわかっていたから。
自分が嫌いな自分から変わりたかったから。
自分が嫌いな自分を本当のところは嫌いにはなれなくて、好きになるために、変わりたかったのかもしれない。

そもそも、私が担当になったきっかけってどこなの? という話なんですが、ゴーストだと信頼度セリフで打ち明けたからだったりします。
私自身が物書きの端くれなのですが、世間で評価されているほど素晴らしいものを書いているのに、九十九くんの書いたものは評価されないの? とショックを受け、同時に、それほど思い悩む人があがくのを、変わっていくのを見てみたいという、個人的な欲も少し見えつつのプロデュース。そして、ずいぶんと前向きになった今ではすっかり失念してしまっていたのですが、雨のちで「ひとりひとりではできないことも、この3人でならできるんだ…」と前向きに語ったシーン。
最初にゴーストだと告白されて気になって、雨のちで「F-LAGSに意味を見い出せるなら、この人は変わっていける。前に進める人だ」という確信を得て、好きになったんですね。
その結果、「おれが好きになれた」ところまで変わっていく様を見ることになります。

そういえば一つ、大事なことに触れ忘れました。
影と光の二重奏で「いつの間にか、挑戦することが恐れではなく、期待へと変わっていた」「おれは今、楽しいよ」と語っています。
「期待を裏切ることが怖い、臆病者」の九十九先生は、もうどこにもいない。海辺で苦悩していた先生は、もう見えない。
そして先生にとっての始まりの物語を改めて「演じて」、どこかでふと思ったのかもしれない。
今はおれが好きだ、と。
あがいてあがいてあがいたその先の、彼が導いた答えが、どれほど素敵か。

 

 

ああ、よかったな……と思いますが、それで終わらない。
今回は19歳組、特に想楽くんとのやりとりも大きく関わってきます。
先生と想楽くんの話について、発端をよくよく読んでみると、九十九Pとしては色々考える一幕です。
「いい台詞が消えちゃうかなー」
「おれとしては、どちらでもいい」
本当にどちらでもいいと同時に、他人を優先しがちって点が出ている。
そこで選択権を想楽くんに委ねるから、想楽くんが「あんまり主張しないよねー」って話に持って行くんだけど。
想楽くんとしては、
「想楽さんの解釈の方がいい」
「おれの台詞は残しておきたい」
「もっとこうした方がいい」
って言わないんだなー…って気になったんだろうけれども。
あの人、傍白で監督に物申すくらい世界観や雰囲気を大切にしているから、物語の解釈の中でどちらでもいいってことは、言い換えると「どちらもいい」なんだけど、どうしても自分を優先できないから、選択そのものは想楽くんに投げてしまっている。想楽くんもまた的確に突きますね。

あと、今回の記事の基になった長文では、

あと、件のやりとりについて、九十九先生が「自分が何者かさえいまいちよくわかっていなかった、自分らしさについてよく考えている」のを知っているし、今もなお自分らしさがない気配があることを知っているから想楽くんの指摘も特に気にならなかったけど。
当たり前ながら、想楽くんはそれを知らないわけだから、自分らしさがないよねー、って指摘して、先生の表情が曇ったのを見て、(やっちゃった…かなー)と思うわけで。
先生はそういうとこ全然気にしないというか、気にしてはいるけど、未だに出そうと思えるだけの「自分らしさややりたいこと」がぼんやりとしている人で、いやほんと…ごめんね…うちの担当ちょっとそういうところ疎いんです…ありがとう…

……と、言っていたのですが、イベスト読み直しながらとあることに気づく。
Wfsで想楽くんが「自分のやりたいこともわからないのって、自由じゃないよねー。」の後にすぐ「もっと自分らしくいてもいいと思うけどなー。」と言っているのって、冷静に考えたらおかしいんですよね。
自分のやりたいことがわからないなら、自分らしさなんてなおさらわからないはずなんですよ。事実、先生は、「これから見つけたいと思っている」と言っているので、間違いなく「自分のやりたいことがわからない」わけなんですね。
でも、想楽くんは「自分らしくいてもいいと思うけどな」と指摘するんですよ。
想楽くんの中で、何かしらが九十九先生らしい、わけなのです。
じゃあそれって何? って話になると、WDでの新規チャットルームでの会話。
「詩ってのは難しいもんだな」に対して、
「それが玄武くんらしさなら、そのまま表現すればいいと思うよー。」
「言葉の世界は自由だ。思うままに書けば、それでいい。」
そして、玄武くんと先生と想楽くんで、詩集を作り上げるんですよ。しかも、「全て作風が違い誰が書いたものがすぐにわかる」という説明も入った。
なんとびっくり、今回のイベストの「自分らしい」「自由」がここで出てくる。もしかしたら、想楽くんは九十九先生がそう言っていたのを思い出して、他人にはそう言えるのに、自分のこととなると思ったようにできないのって、自由じゃないんじゃないかなーと思ったのかなと。
そして恐らく、想楽くんは先生の、そう、先生らしい詩を読んでいるはず。
だから、想楽くんにとって、先生への指摘は、
「一希先生らしさって僕からしたらあるように見えるから、もっと一希先生らしくいてもいいと思うけどな」なのかもしれない。
そう、逆なんですよ。想楽くんは、「一希先生が自分らしさでずっと悩んでいるのを知らない」のではなくて、「一希先生らしさがあるはずなのにそれが見えないことに気づいている」。
あるはずの自分らしさが見えないという点は、説明がつくかなと思います。
「ゴーストとして生きるのには慣れているから」意図的に自分らしさを隠しているのかなと。リーダーも避けて生きてきましたし。
事実、自分で気づけない自分らしさが見えているという点は、その最たる例が傍白での涼の「一希さんらしい作品だなって思いました」。
自分では気づけない、もしくは認められない自分らしさが確かに息づいているのを、九十九先生がまだ認められないだけなのかもしれない。
またここから、九十九先生は成長できるかもしれないです。
ところでWDそのものも、先生にとってはターニングポイントなんですよね。「喜んで」詩を書いているんです。詩を誰かのために書く。誰かに喜んでもらうため。でも今回は、誰も幸せにならない、なんてことはまったくない。書いた人も、もらって読んだ人も喜ぶ、そんな作品。
ゴーストでもライトノベルでもできなかった、自分らしく、自分の言葉で詩を書く。
WDはなぜ期間限定なんだ……と悲しんでいたのですが、今やっと気づきました。そもそもプロデューサーへの日頃のお礼で、メタで考えても、WD2018を遊んでくれたお礼なのです。お礼なら仕方がない。

 

 

で、Wfsの想楽くん、先生となかよくしてくれてありがとうね、新たな可能性をありがとう、としみじみしていたのですが、イベストを読み直しながらまた、とあることに気づく。
想楽くんって、九十九父、ゴースト、ライトノベル、WDの先生の詩を全部読んでいる。
そして、初期の作品、九十九父の作品が好きだと九十九先生に告げていて、九十九先生に対して「ああいうの好きそう」と言っている(あと、九郎くんに対して「貸してあげるよー?」って提案しているので、想楽くんは、恐らく九十九父の小説はゴースト含めて全部買っておりますね……)。
九十九父の小説全部読んでいる人だと判明してしまった以上新作が読まれないわけない。そして、九十九父の最新作が、初期のように伸び伸びと書かれた小説であるとするなら、想楽くんは気づく。
「あれ? 初期の雰囲気に戻った」と。
つまり、九十九父が執筆再開すると決めた以上、この辺りの話題にはほぼ必ず絡んでくると思います。九十九先生と本の話をしたかったんだと言っていたし、九十九先生は九十九父の小説が好きだとバレている以上話題からは逃げられない。
何より、初期の雰囲気に戻ったとして、その作家が初期の雰囲気に戻ったのは当たり前ながら先生がアイドルになってから(具体的には傍白が終わってから)で、例えばその小説家が九十九先生の父親だと気づいたとき、どうなるのか。傍白のドラマの主題歌が、F-LAGSだと思い出したら、どうなるのか。
F-LAGSだけに、というギャグすら冗談に聞こえないくらい、伏線が張られた気がします。

そういえばこんな伏線をなぜユニット外イベでやったかなんですけれど。
そもそも、WfsSR組の何が面白いって、秘密を明かしてないからこそ、秘密を知っている旗では踏み込めない領域に入り込んでしまった点というか。WfsSR組に対して、旗って「互いにないものを補える3人」だから、「ないものをあったほうがいいんじゃないかと指摘する」ってあんまりないんですよね。
旗のスタンスが、「各自の得意分野を生かして、苦手分野をフォローし合う」。
もちろん、各自で「自分にないもの」はある程度把握していて、「ないからどうしたらいい?」と聞くと他のメンバーが答えをくれることはある。でも、基本はフォローできるところは全力でフォローするんですよね。見返りなしに。
各自の「やりたいこと」を尊重するんですよね。(過去イベだと先生の「やりたいこと」たくさんあるじゃない、とは思うけど、同じくらい「人に判断を委ねてしまうところ、答えが出せない悩みを抱えてしまうところ」はある)
あと、ないものを持っている、というのを踏まえると、「同じユニットのメンバーについてで、
「……涼は、自分の想いを表現できる、強いやつだ」
「大吾は面白いし、元気がもらえる」
「2人といると、いつも心が癒やされる。あいつらとユニットを組めて、良かった。」
自分にないものを持っている二人が九十九先生にとっての癒やしであり、そんな二人と、三人で一緒にやっていきたいのかもしれない。

ちょっと話がそれました。正直、先生って同年代の友達っているのかな、と不安だったところが多々ありまして(旗は年齢差感じさせない距離感だけど、二人が立ち回り上手くてなおさらそう見えるし、玄武くんはどっちかっていうと読書仲間の要素強め)、今回で一悶着あってもさくっと乗り越えたところに「友達」を感じました。すべてを知っているわけではないけど、知らないなりに時にぶつかれて、時に寄り添ってくれる友人になりうるのかな、と。

19歳組、同い年で、どことなく近いものを持っていて、でも全員違う人で、だからこそ友人になれる。その可能性に一石を投じたのかもしれないです。ユニットとは違うアプローチで絆がうまれる、そういう可能性。

何より、F-LAGSではすでに話が終わってしまった「ゴースト」という過去を、もう一度語るなら、この3人でなければならないのかもしれないです。

 

しかし、傍白で大変なものを見てしまったので今さら怯えはしないぜ!って言ってみたかったと言っていたけれど、傍白で掘り下げできなかった部分(本当に明かさないままでよかったのか、それが先生にとってはいいことなのか)が微妙にかすってくる辺りが本当にこのコンテンツの恐ろしいところである。

長々と書きましたが、私は、ただこの願いが、ずっと頭の中にあります。
先生に幸せになってもらいたい。彼が彼自身の力で幸せになってほしい。誰も幸せにならない秘密だって言うなら、せめて自分が幸せになる新しい道を、探してほしい。父がまた小説を書いたっていう、間接的な要因じゃなくて。
だから、私は、ひとつの希望が、彼自身の希望になることを祈りたいです。彼の名には、その意義が込められているから。

 

ミュージックプログラムから3年。ちょうど実装三周年を終えたタイミングで、この人の物語が見たいと思って、本当によかったとかみしめた10日間でした。
だからこそ、私はこれからも彼を追い続けます。誰のためでもない、九十九一希のための物語を、もっと見るために。