「九十九一希」の意義を想う

あくまで私個人から見た九十九一希のお話、というのを念頭に置いて読んでいただけると幸いです。

 

 

イベント中や終了後に、幼き日の赤星くんという単語をときどき見かけた。10年前にサムが生まれたなら、赤星くん9歳だもんな。サムも9歳なのかしら、それとも19歳……とぼんやりと考えていると、ふと思い出す。
小さい頃の九十九先生、見たことがなかったっけ?
慌てて「風鈴の音」を開く。そこには椅子に腰掛けている九十九父よりも背の小さい、子供の頃の九十九先生がいた。
当時から、漠然と小学生かなと思っていた幼い彼の身長を、恐る恐る検証してみる。
九十九父の身長が今の九十九先生と同じくらいだとして、椅子に腰掛けた九十九父は145cmほどだろうか。この九十九先生、いや、九十九くんの身長はそれよりも小さいことになる。
そして、9歳の平均身長は135cmほどらしい。
作文を褒められているのも、スランプに陥っている九十九父を見ているのも同年の夏だと仮定すると。スランプに陥った九十九父を見て、「父さんに喜んでほしくて執筆を手伝ったのが始まりだった」のだとしたら。作文を褒められた延長線で、執筆を手伝ったのだとしたら。
彼がゴーストになったのは、10年前の、9歳の夏。自室で作業をしている父と過ごす時間が多くなる、夏休みではないのだろうか。
これに気づいてしまった瞬間、思わず脳内の九十九父を見やる(概念)くらいにはうろたえていました。
いや、だって、そうなると、九十九先生は人生のうち半分を、ゴーストとして生きていたことになります。小さな頃からゴーストとして生きているということになります。そんなのあまりにも惨いではないですか。
だから、さすがにそんなに幼い頃からゴーストではいなかっただろう、と考え始めるのですが。それどころか、九十九父名義の小説は想楽くんが好きだと言っていた、九十九父の初期の作品は「若い頃の父さん自身の作品」なので、その後は伸び伸び書いていない(スランプ)か、九十九先生が書いた小説のどちらかの可能性が高い。少なくとも、九十九父は若い頃に小説家になっているのは確定で、若い頃の作品は「初期」。十年一昔というくらいだし、あまりにも若すぎるゴースト、という線が覆せそうにもない。

そして、そんなゴーストの書いた小説はベストセラーになった。これが九十九父本人の書いた小説と同等の売り上げかもしくは不評であったなら、九十九父がスランプさえ脱却すれば引き返せた。でも引き返せなかったのは、ゴーストが売れてしまったからだろう。
父親と向き合うこと、筆を折ることは同時に、期待を裏切ることになると述べているから。九十九父は九十九先生がゴーストであるのを「期待している」のです。
ゴーストになってからアイドルになる直前まで、九十九先生は「父さんに喜んでもらいたい」に苦しめられる。
考えれば考えるほど、嫌な予感がしてしまって、胸が苦しくなります……

先生が315プロのアイドルの中で唯一「おれ」って言っているのも、文学少年だからかと思っていたけれど、「おれ」は9歳で止まってしまった説もありえるのかもしれない。
今後、ゴーストを始めた時期が明かされるかどうかは不明ですが、明かされるとして、せめてもう少し後にゴーストを始めたと判明してほしいです。その過去は決して無駄ではなかったし、F-LAGSの三人とプロデューサーが出会うためなら必要だったけれど、九十九先生の過去を想うなら、そうであってほしくなかったと祈らずにはいられないので。

 

ただ、だからこそ、Wfsでゴーストが「光」を見い出して、出会ったのは運命だったのかもしれないと告げたのは、大きな意味があるのかもしれないとも考え始めます。
オリピ07で、彼は「涼という光に憧れて、おれはこの世界に来た」と語っています。
先生の語りと、サムの語り。偶然にしてはあまりにもできすぎているんですよ。
ゴーストが光に出会って、自分が何者かを知り(もしくは知るために)、出会えてよかったと確信する。多少の詳細は違えど、まさしく、二人のゴーストが光を見いだしているんです。サムの、万字郎の終着点は、九十九一希の出発点でもあるんです。

ここで、【Fiction Writer】の信頼度MAXセリフについてを。

Wfsを走っている最中、信頼度MAXセリフがやばい。という話を目にします。
あまりにあちこちでやばいと目にしたので、そんなにやばいと言われているなら読んでみよう~と、のんきに先生を受け取って、ひたすら走り続けるわけですが。
信頼度MAXセリフが出てきた瞬間、呻きました。
やばいっていうか、なんだ。なんだあの信頼度MAXセリフは。
おれを好きになれたよって、なんだ。

当時の気持ちを言葉にするのは難しいのですけど、とにかく嬉しいような、報われたような、いやもっと、信じていてよかった、と思うような。
この瞬間、私絶対1位取りたい、と強く願いました。実は。

今までのセリフを思い出しながら、いろんなことを考えました。
過去のセリフから見ても、自分のことが好きではない、と見受けられるような発言もありました。
「別に、おれの衣装なら適当でいい」(目指す姿)
「自分の能力を呪ったこともある」(傍白のFamille)

もちろん、そこから変わりたい、変わっていっている、と言っていたセリフもいくつか。
「少しずつでも、変わりたい。おれは前に進みたいんだ」(ミュージックプログラム)
「自分が何者かわかってきた気がする」(雨のち笑顔)
「将来後悔しないために、今を全力で生きる」(DSPL)

なぜ変わりたいって、なるほど、自分のことが嫌いだったからなのかなと。
誰かの期待を裏切るのが怖くて、現実と向き合えない、臆病者。一歩踏み出そうと思えば、父親と改めて顔を合わせて、ゴーストをやめたいと言い出すこともできた。でもそれが怖かった。誰も幸せにならない秘密だとわかっていても変われない、そんな自分が嫌いだった。
そして、葛藤に苦しむ中、テレビの中の涼はこう告げます。
「これ以上自分のことを秘密にしても、誰のためにもならないと思ったんです…!」
「夢を捨てる前に、もう一度だけ、考えてほしいんです」
「その夢は……本当に望みのない夢なのか」
「望みはあるのに、自分がそこから目をそむけてるだけじゃないのか」
「できることがひとつでもある以上、夢はかなう可能性があります」
本当の自分を出した涼は強いと思うし、眩しい。でもそれ以上に、九十九先生はこの言葉が強く刺さったんじゃないかなと、今は思います。
誰も幸せにならない秘密は、自分が変わることで何かが変わると頭のどこかで理解していたから。父親と向き合うべきだとわかっていたから。
自分が嫌いな自分から変わりたかったから。
自分が嫌いな自分を本当のところは嫌いにはなれなくて、好きになるために、変わりたかったのかもしれない。

そもそも、私が担当になったきっかけってどこなの? という話なんですが、ゴーストだと信頼度セリフで打ち明けたからだったりします。
私自身が物書きの端くれなのですが、世間で評価されているほど素晴らしいものを書いているのに、九十九くんの書いたものは評価されないの? とショックを受け、同時に、それほど思い悩む人があがくのを、変わっていくのを見てみたいという、個人的な欲も少し見えつつのプロデュース。そして、ずいぶんと前向きになった今ではすっかり失念してしまっていたのですが、雨のちで「ひとりひとりではできないことも、この3人でならできるんだ…」と前向きに語ったシーン。
最初にゴーストだと告白されて気になって、雨のちで「F-LAGSに意味を見い出せるなら、この人は変わっていける。前に進める人だ」という確信を得て、好きになったんですね。
その結果、「おれが好きになれた」ところまで変わっていく様を見ることになります。

そういえば一つ、大事なことに触れ忘れました。
影と光の二重奏で「いつの間にか、挑戦することが恐れではなく、期待へと変わっていた」「おれは今、楽しいよ」と語っています。
「期待を裏切ることが怖い、臆病者」の九十九先生は、もうどこにもいない。海辺で苦悩していた先生は、もう見えない。
そして先生にとっての始まりの物語を改めて「演じて」、どこかでふと思ったのかもしれない。
今はおれが好きだ、と。
あがいてあがいてあがいたその先の、彼が導いた答えが、どれほど素敵か。

 

 

ああ、よかったな……と思いますが、それで終わらない。
今回は19歳組、特に想楽くんとのやりとりも大きく関わってきます。
先生と想楽くんの話について、発端をよくよく読んでみると、九十九Pとしては色々考える一幕です。
「いい台詞が消えちゃうかなー」
「おれとしては、どちらでもいい」
本当にどちらでもいいと同時に、他人を優先しがちって点が出ている。
そこで選択権を想楽くんに委ねるから、想楽くんが「あんまり主張しないよねー」って話に持って行くんだけど。
想楽くんとしては、
「想楽さんの解釈の方がいい」
「おれの台詞は残しておきたい」
「もっとこうした方がいい」
って言わないんだなー…って気になったんだろうけれども。
あの人、傍白で監督に物申すくらい世界観や雰囲気を大切にしているから、物語の解釈の中でどちらでもいいってことは、言い換えると「どちらもいい」なんだけど、どうしても自分を優先できないから、選択そのものは想楽くんに投げてしまっている。想楽くんもまた的確に突きますね。

あと、今回の記事の基になった長文では、

あと、件のやりとりについて、九十九先生が「自分が何者かさえいまいちよくわかっていなかった、自分らしさについてよく考えている」のを知っているし、今もなお自分らしさがない気配があることを知っているから想楽くんの指摘も特に気にならなかったけど。
当たり前ながら、想楽くんはそれを知らないわけだから、自分らしさがないよねー、って指摘して、先生の表情が曇ったのを見て、(やっちゃった…かなー)と思うわけで。
先生はそういうとこ全然気にしないというか、気にしてはいるけど、未だに出そうと思えるだけの「自分らしさややりたいこと」がぼんやりとしている人で、いやほんと…ごめんね…うちの担当ちょっとそういうところ疎いんです…ありがとう…

……と、言っていたのですが、イベスト読み直しながらとあることに気づく。
Wfsで想楽くんが「自分のやりたいこともわからないのって、自由じゃないよねー。」の後にすぐ「もっと自分らしくいてもいいと思うけどなー。」と言っているのって、冷静に考えたらおかしいんですよね。
自分のやりたいことがわからないなら、自分らしさなんてなおさらわからないはずなんですよ。事実、先生は、「これから見つけたいと思っている」と言っているので、間違いなく「自分のやりたいことがわからない」わけなんですね。
でも、想楽くんは「自分らしくいてもいいと思うけどな」と指摘するんですよ。
想楽くんの中で、何かしらが九十九先生らしい、わけなのです。
じゃあそれって何? って話になると、WDでの新規チャットルームでの会話。
「詩ってのは難しいもんだな」に対して、
「それが玄武くんらしさなら、そのまま表現すればいいと思うよー。」
「言葉の世界は自由だ。思うままに書けば、それでいい。」
そして、玄武くんと先生と想楽くんで、詩集を作り上げるんですよ。しかも、「全て作風が違い誰が書いたものがすぐにわかる」という説明も入った。
なんとびっくり、今回のイベストの「自分らしい」「自由」がここで出てくる。もしかしたら、想楽くんは九十九先生がそう言っていたのを思い出して、他人にはそう言えるのに、自分のこととなると思ったようにできないのって、自由じゃないんじゃないかなーと思ったのかなと。
そして恐らく、想楽くんは先生の、そう、先生らしい詩を読んでいるはず。
だから、想楽くんにとって、先生への指摘は、
「一希先生らしさって僕からしたらあるように見えるから、もっと一希先生らしくいてもいいと思うけどな」なのかもしれない。
そう、逆なんですよ。想楽くんは、「一希先生が自分らしさでずっと悩んでいるのを知らない」のではなくて、「一希先生らしさがあるはずなのにそれが見えないことに気づいている」。
あるはずの自分らしさが見えないという点は、説明がつくかなと思います。
「ゴーストとして生きるのには慣れているから」意図的に自分らしさを隠しているのかなと。リーダーも避けて生きてきましたし。
事実、自分で気づけない自分らしさが見えているという点は、その最たる例が傍白での涼の「一希さんらしい作品だなって思いました」。
自分では気づけない、もしくは認められない自分らしさが確かに息づいているのを、九十九先生がまだ認められないだけなのかもしれない。
またここから、九十九先生は成長できるかもしれないです。
ところでWDそのものも、先生にとってはターニングポイントなんですよね。「喜んで」詩を書いているんです。詩を誰かのために書く。誰かに喜んでもらうため。でも今回は、誰も幸せにならない、なんてことはまったくない。書いた人も、もらって読んだ人も喜ぶ、そんな作品。
ゴーストでもライトノベルでもできなかった、自分らしく、自分の言葉で詩を書く。
WDはなぜ期間限定なんだ……と悲しんでいたのですが、今やっと気づきました。そもそもプロデューサーへの日頃のお礼で、メタで考えても、WD2018を遊んでくれたお礼なのです。お礼なら仕方がない。

 

 

で、Wfsの想楽くん、先生となかよくしてくれてありがとうね、新たな可能性をありがとう、としみじみしていたのですが、イベストを読み直しながらまた、とあることに気づく。
想楽くんって、九十九父、ゴースト、ライトノベル、WDの先生の詩を全部読んでいる。
そして、初期の作品、九十九父の作品が好きだと九十九先生に告げていて、九十九先生に対して「ああいうの好きそう」と言っている(あと、九郎くんに対して「貸してあげるよー?」って提案しているので、想楽くんは、恐らく九十九父の小説はゴースト含めて全部買っておりますね……)。
九十九父の小説全部読んでいる人だと判明してしまった以上新作が読まれないわけない。そして、九十九父の最新作が、初期のように伸び伸びと書かれた小説であるとするなら、想楽くんは気づく。
「あれ? 初期の雰囲気に戻った」と。
つまり、九十九父が執筆再開すると決めた以上、この辺りの話題にはほぼ必ず絡んでくると思います。九十九先生と本の話をしたかったんだと言っていたし、九十九先生は九十九父の小説が好きだとバレている以上話題からは逃げられない。
何より、初期の雰囲気に戻ったとして、その作家が初期の雰囲気に戻ったのは当たり前ながら先生がアイドルになってから(具体的には傍白が終わってから)で、例えばその小説家が九十九先生の父親だと気づいたとき、どうなるのか。傍白のドラマの主題歌が、F-LAGSだと思い出したら、どうなるのか。
F-LAGSだけに、というギャグすら冗談に聞こえないくらい、伏線が張られた気がします。

そういえばこんな伏線をなぜユニット外イベでやったかなんですけれど。
そもそも、WfsSR組の何が面白いって、秘密を明かしてないからこそ、秘密を知っている旗では踏み込めない領域に入り込んでしまった点というか。WfsSR組に対して、旗って「互いにないものを補える3人」だから、「ないものをあったほうがいいんじゃないかと指摘する」ってあんまりないんですよね。
旗のスタンスが、「各自の得意分野を生かして、苦手分野をフォローし合う」。
もちろん、各自で「自分にないもの」はある程度把握していて、「ないからどうしたらいい?」と聞くと他のメンバーが答えをくれることはある。でも、基本はフォローできるところは全力でフォローするんですよね。見返りなしに。
各自の「やりたいこと」を尊重するんですよね。(過去イベだと先生の「やりたいこと」たくさんあるじゃない、とは思うけど、同じくらい「人に判断を委ねてしまうところ、答えが出せない悩みを抱えてしまうところ」はある)
あと、ないものを持っている、というのを踏まえると、「同じユニットのメンバーについてで、
「……涼は、自分の想いを表現できる、強いやつだ」
「大吾は面白いし、元気がもらえる」
「2人といると、いつも心が癒やされる。あいつらとユニットを組めて、良かった。」
自分にないものを持っている二人が九十九先生にとっての癒やしであり、そんな二人と、三人で一緒にやっていきたいのかもしれない。

ちょっと話がそれました。正直、先生って同年代の友達っているのかな、と不安だったところが多々ありまして(旗は年齢差感じさせない距離感だけど、二人が立ち回り上手くてなおさらそう見えるし、玄武くんはどっちかっていうと読書仲間の要素強め)、今回で一悶着あってもさくっと乗り越えたところに「友達」を感じました。すべてを知っているわけではないけど、知らないなりに時にぶつかれて、時に寄り添ってくれる友人になりうるのかな、と。

19歳組、同い年で、どことなく近いものを持っていて、でも全員違う人で、だからこそ友人になれる。その可能性に一石を投じたのかもしれないです。ユニットとは違うアプローチで絆がうまれる、そういう可能性。

何より、F-LAGSではすでに話が終わってしまった「ゴースト」という過去を、もう一度語るなら、この3人でなければならないのかもしれないです。

 

しかし、傍白で大変なものを見てしまったので今さら怯えはしないぜ!って言ってみたかったと言っていたけれど、傍白で掘り下げできなかった部分(本当に明かさないままでよかったのか、それが先生にとってはいいことなのか)が微妙にかすってくる辺りが本当にこのコンテンツの恐ろしいところである。

長々と書きましたが、私は、ただこの願いが、ずっと頭の中にあります。
先生に幸せになってもらいたい。彼が彼自身の力で幸せになってほしい。誰も幸せにならない秘密だって言うなら、せめて自分が幸せになる新しい道を、探してほしい。父がまた小説を書いたっていう、間接的な要因じゃなくて。
だから、私は、ひとつの希望が、彼自身の希望になることを祈りたいです。彼の名には、その意義が込められているから。

 

ミュージックプログラムから3年。ちょうど実装三周年を終えたタイミングで、この人の物語が見たいと思って、本当によかったとかみしめた10日間でした。
だからこそ、私はこれからも彼を追い続けます。誰のためでもない、九十九一希のための物語を、もっと見るために。

WfS備忘録

Wrtite for someone備忘録です。イベスト内容に関してはまた別個で上げたいと思います。

 

イベント直前のアイテム数は、

・ゼリー2435、ハーフゼリー38、イベ限ゼリー4

・バー1115、マイバー2691、ミニバー14418、イベ限バー18

・メガホン435

 ……ライブかビンゴならいける、ライプロなら厳しいとして、マラソンの線をまったく考えていなかった…という具合のアイテム数。

形式予想は、ビンゴは直前がビンゴイベなのでなし。ライブもライプロも、ライブとは一切関係ないイベントだからそれもなし。どう考えてもマラソンか新形式だが、新形式という線もないわけで。

よりにもよって、私にとってライプロとどっこいくらいにキツいイベ形式がやってきたのでした。

 

代筆屋という言葉の重さにうろたえながら、覚悟を決めるしかないな…と悩んでいる最中、とあることを思い出します。

そういえば、マラソンでバー走りしていた人がいらっしゃったな、と。

手持ちのバーとメガホンと、スタダラスパその他でがんばれば「最低でも」2000万ほど稼げる計算。それなら、バー走りしようと心に決めました。

この決心によって、私の一位への道のりが開かれたと同時に、地獄の幕開けとなります。

 

WfSはなんと初日がお休みという神采配でした。

そして、イベント終了日が判明と同時に、イベント中にお休みが3日半もあることが確定する。この日数はバー走りにおいて、相当響いてくることになるのでした。

1位走るならガシャは必須なので、ガシャを回して硲先生かそらくんをゲットするのが第一目標。どうやら箱ガシャ固定になったらしく、これだとR狙いにくいんだよな…と恐る恐るガシャを回すと一発で硲先生が二人出てくる。

パーチケも勝った試しがないんだよな…と恐る恐る回してみると、途中で先生2枚抜き。

これはガシャ運来ているから、九郎くんもすんなり来てくれるかな! と走り始めるも、逆に九郎くんはイベスト完走するまでまったく来ない。ああ、3倍…と九郎くんが引けるまで3倍をしばらく見送りながら走るという悲しい事態。

やっと九郎くんを引いて1位に上った時点で貯蓄のメガホンは全部消えました。

追い上げが恐いので、スタダ分のメガホンはできるだけ取っておいておくことに。

ここからバー走りが始まったのですが、思ったよりバーが減らないことに気づきます。

こんなものなのかなーと疑問に思いながらもひたすらバー走り。

実は序盤ですら、1時間に何回アピールチャンスが来るか把握していなかったのですが、1時間あたり平均150回アピールチャンスが来ます。体感1時間で100本使ったときもあったので、引きがよくても200回が限度かと思います。

つまり、1時間で75ー100本前後しかバーが減らないのです。

この時点でのバーの手持ちはフルバー換算6700本ほど。全消費に66-88時間必要。今さらながらよく全部使ったな…と思います。

 

バー走りの時速は30-45万ほどなので、副業がある日は2-300万、休みは800ー900万ほどのペースでひたすら走る。

 

ただ、いくらゼリー走りよりも速度が出るとはいえ、メガホンにはとてもではないけど勝てない。そしてなんせ量が多い。おかげで途中で精神的に相当来てしまい、マラソンってどうやって走るんですか? とたずねてみたり、バーが尽きたら終わるという焦りから、身内Pに「ゼリーとバーのトレードお願いできませんか」と懇願して、なんと450本も融通してもらうことになる。その節は本当にありがとうございました…

そんなわけでバーが増えましたが、元々の手持ちのバーが尽きるのが8日目の夜、融通してもらった分のバーも含めてバーが全部消えたのは9日目の朝です。3日半休みがあって、自分の手持ちが2日半を経て終了、丸3日分のお休みが終わった辺りでやっと全部終了なので、この走法、短期決戦にはとても向いていない走り方ですね。

ラスパを温存した状態のまま、3160万ほど稼いだ辺りでバーが終了したので、ゼリーとバーだけでおおよそ2500万くらい稼いだ計算になるでしょうか? 残りはラスパと10+3パック*10、ゼリー走りで稼ぎました(というより、10+3パックに関しては、ガシャを回したい欲を発散するために買い足したのが半分、サム合わせ(3600万)にしたかったから買い足したのが半分という、完全にその場のノリで買い足したものですが…)。

 

とにかく総括としましては、

メガホンとバーは「時と場合によって使い分けるのが吉」です。

メガホンは入手方法が限られていますし、最大効率である代わりに使い切るのもそれなりに早いので、スタートダッシュやラストスパート、とにかく引き離したいときには向いていますが、中盤で積んでいく際に使うには少しもったいないです。

バーは入手方法が多彩で貯めやすいですが、使うには膨大な時間を要します。ただし、中盤にコツコツ積んでいくには向いています。

ああでもやっぱり。

メガホンをコツコツ貯蓄するのが、一番いいと思います。これだけは確信しました。

「九十九一希」という物語を垣間見た

タイトルが本題であり結論です。


こうやってブログを立ち上げて、アイドルについて書くのは一生縁がない予定だったのですが、彼の言葉を借りるなら、自分の言葉で伝えてみたかったので、どうせならTwitterで書き散らして終わるのではなく文章に起こしておこうと筆をとりました。九十九Pとして。

 

まずは、仙台公演お疲れ様でした。両日LVで参加しました。

 

さて、私はタイトルからすでにお察しできるかと思いますが、九十九担当F-LAGS Pです。それと同時に、961時代からぼんやりとJupiter推しであり、もともとは夏来Pだった夏来推しです。

そんな私の、二日目よりも前の話からしたいと思います。

今回の3rdライブツアー、特に仙台公演、推しに対する感想を簡単に述べるなら、私の中の様々なものが浄化されるばかりの、とにかく恐ろしい公演でした。

JupiterのAlice or Guiltyからの、BRAND NEW FIELD。夏来がナツゾラRecordsを歌い、夏来が奪ったと語ったピアノで、旬がGenuine feelingsを弾き語る。

Jupiterのことを知り、この人たちが好きかもしれないと思った昔の自分が、夏来を知ったときの自分の心残りが、少しずつ溶けていくようでした。

だからこそ余計に、仙台1日目が終わってから、不安が脳裏から消えませんでした。「九十九先生が一区切りついてしまったらどうしよう」と。

一区切りつく、というのは決して悪いことではないです。アイドルにとっては通過点の一つでもあるし、何より、九十九先生はゲーム内イベントの「傍白のFamile」で一区切りついているアイドルなので、今さらライブの方でも一区切り来ても受け入れられる下地はあるはずでした。あるはずだったのですけれど。

ライブで九十九一希を見たら、「一区切りついたし、それでもういいや、満足した」と思ってしまうのではないかと、不安になりまして。

あとはもう、何が来るのか不安で不安で仕方がなくて(朝起きてからは比較的マシだったのですが、しばらくしてから先生ソロを目の当たりにするかも…ってそれはそれで動揺していました)。

そんな状態で仙台二日目、そして、先生のソロ曲「…掲げよう、偽りなき自分を。」が披露される瞬間を迎えました。

 

演出が、すごい美しかった。

どこか静寂にも似た、言葉にならないざわめきが起きている会場の中、白い帽子を被ったシルエットが、場の空気を一気に攫っていく。机に向かうと、万年筆で文字を書き連ね。その筆を置いたと思うと、遠くの床に置いてあったマイクを拾い上げて、歌う。

万年筆を置いてマイクを拾う動作が、ゴーストが書くことをやめるのを、九十九一希がマイクを持つのを「選び取る」ように思えて、彼の選択を想いました。

そして、ステージ上で九十九先生が歌い始めると、スクリーンには、開かれたページに、縦書きで、歌詞が、いや、文章が。どこを見たらいいかわからなくて正直スクリーンはあまり見ていなかったのですが、発売当時の歌詞カードの衝撃を易々と超える演出に息を呑みました。静かで、でも何かを訴えるかのような様は、どこもかしこも、九十九先生の纏う雰囲気そのものでした。

そして、訪れる、二番サビでの歌詞ミス。

聴き慣れたPなので、真っ先にあれ? と思った直後、歌っている歌詞と、スクリーンの歌詞がどんどん食い違っていく……。明らかな事態に、少し冷めるような感覚と空気。あの数秒は、ひどく長く感じました。

直後、一番聴きたかったCメロで、階段を降りて目の前にやってきてくれた(もちろんLVなので概念ですが)のは、とても嬉しかった。「ここに立っている」のは、ステージの上であってほしかったので。

階段から降りた、あのステージの上で歌い終わり、本を閉じたその姿は、物語を紡ぎ終わったのか、もしくは語り終わったかのようでした。

 

ただ、歌詞ミスで少し我に帰ってしまったせいで、あんなに聴きたかったソロでも、落ち着かない気持ちが勝りました。担当のソロだからこそ、やはり、完璧に歌い切るのを聴きたかった。それがどうにも残念で、悔しくて。

 

そこからすぐに始まった涼ちんのソロの、羽ばたきのMy Soulも、実は、涼ちんが来た! というよりは、旗の流れが来てしまう! 気持ちの整理がつかないまま進んでしまう! と、置いてけぼりにされてしまった気持ちの方が強かったです。

ここで涼ちんがあまりにも真っ直ぐに歌い始めるのがとても嬉しくて、少し悔しかったんでしょうね。躓いても、ライブは止めることはできないし、どんなに悔しくても、もう一度だなんてあり得なければ次の場面もすぐに来てしまうから。


なので、正直、旗のときにパフォーマンスについて何を感じていたか、あまり覚えていないです。映像として、音声として覚えているのに。嬉しかったとか楽しかったという記憶はありますけれども、詳細はさっぱり。

そんな旗パートの中、心の片隅で、(自分のことのように悔しがっているけれど、九十九先生は、徳武くんは悔しかったのだろうか)と考えてました。

 

あの演出で、わかりやすくミスが露呈してしまったのは、表現者としてすごく悔しい。

そして、九十九先生は誰よりも言葉を大切にするし、歌詞はきっとすべて覚えている。それならなおさら、悔しいだろうと。九十九先生は、ああ見えて負けず嫌いだから。

それなら徳武くんは? 人柄からして悔しいと思うだろうし、一日目で、ボールが取れなくて悔しがっていたことに言及した、九十九先生のことをよく見てくれる人だから、悔しくないわけないだろうなと、そんなことを考えていました。


そして、With…STORYが始まった辺りから、完全に旗の流れだけど、なんだか思ったより旗が一区切りついたというか、終わるって気配ないな…ってぼんやりと考えるようになりました。それから少しして、あれ、これ、もしかして、一区切りつけるためのセットリストではない? って気づきました。

一日目の大吾くんのソロ、HANAMARU LIFEから続いた流れは、「こうやって生きていたい僕たちは、今こうして一緒に歩いています!」という、始まりの意思表示だったのかもしれない。

そしたらなんだか、先ほどまでの悔しさも、前日に不安だった、一区切りへの心配も、あっという間に消えていきました。なんだ、これから旗は歩き始めるんだから、それならまた次の機会に掲げようを聴けるのを楽しみにしよう。諦めないで、という歌詞が印象的な曲の中、何かが腑に落ちたような気がしました。

 

そして、旗パートが終わってから、MCですごい悔しがり、泣いている徳武くん見て、やっぱり徳くんも悔しくないわけないよなと、私は先ほどぼんやりと考えていたことの答えを知ることになります。

 ああ、一番悔しいのは徳武くんであり、九十九先生なんだと。


そして、最後の挨拶、もう一度触れるのかな、と思ったら、やっぱり触れてきたのですけど。

「頑張る理由ができた」

Twitterで「次に掲げようソロを聴くまでは絶対にプロデューサーでいたい!」と宣言するつもりだったPは、先越されちゃったなあ! などと思ったりしました。同時に、とても嬉しかったです。

この発言で、私が不安に思っていた「満足したからもういいや」は未来になったから。次の物語の足がかりを作ってくれたから。何より、九十九先生も同じように、次こそは必ず成功させると言ってくれる人だから。

私の中では、ステージへの評価は決して手放しに良いとはいえなかったけれど、失敗から一つの物語を紡ぎ始めたのなら、九十九Pとしては、もはや言うことはないです。

 

 そして私は、ようやく思い至りました。私は、多分、九十九先生の生き様を見たくて、先生自身が紡ぐ物語が見たくて、担当になりました。

だからもしかしたら、完全に歌いきれて、雪辱を晴らせました、とも言われたら、今度こそここで一区切りついたと解釈して、担当をやめるかもしれないです。

でも、いいんです。今回、九十九一希としての物語が、ゲームとはまた違う、徳武くんの演じる九十九一希としての物語がまた一つ、新しく始まったのだから、その物語を終わらせてくれるなら、「その物語を見せてくれてありがとう」と、私は九十九先生の担当でよかったと、胸を張って言えます。もちろん、もっと見たくなれば担当続けるでしょうし。

多分、私にとっての「未来を君と見たい」って、こういうことなんだろうなと思います。

 

余談ではありますが、私、徳くんのことを九十九先生だと思ったことは実は一度もないんですけれど、全力で九十九先生を演じているとは、わかります。あり方が、九十九先生であるというか。

だから、この言葉で締めくくりたいです。


九十九先生と一緒に立ってくれてありがとうございます。これからもどうか、彼のことをよろしくお願いいたします。一緒に物語を、紡いでください。